広島高等裁判所 昭和42年(う)181号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕先ず職権で調査するに、起訴状によれば、本件公訴事実は、「被告人は、日本専売公社広島地方局総務部職員課に勤務する同公社職員であるが、昭和四〇年七月四日施行された参議院議員通常選挙に際し、全国区より立候補した小林章の選挙運動者である同地方局総務部長水谷嘉隆ならびに管下下関支局の田中支局長以下脇坂、小掠両課長等が、公職選挙法違反の疑で逮捕されたことを聞知するや、下関支局長を除く山口県内の管下各支所長をして、選挙に関連のある文書を焼却させて証拠をいん滅して右被疑者らの利益をはかり、右違反事件の拡大することを防止しようと企て、同年七月一八日午後二時過頃、防府市大字向島字流川一七一三番地の八所在同公社防府工場において、同公社山口支局長藤本順治外六名の出張所長に対し『下関支局長や広島地方局の総務部長が逮捕された。この際、昭和三九年度の出張命令簿に同年度の文書収受簿、その他選挙に関係のある文書は至急処分するように』と申し向け、もつて、公務所の用に供する文書を毀棄して他人の刑事事件に関する証拠をいん滅するよう教唆し、その頃、前記藤本順治外六名をしてその旨決意させた上、別紙一覧表記載のとおり、前記七名をして、同月一八日頃から二〇日頃までの三日間にわたり、吉敷郡小郡町下郷字下開作二三二五番地の一同公社山口支局外六個所において、前記支局ならびに各出張所に備付けの昭和三九年度出張命令簿、同年度文書収受簿等を焼却させ、前記各公務所の用に供する公文書を毀棄せしめるとともに、他人の刑事事件に関する証拠をいん滅せしめたものである。」というのであり、罪名および罰条として「公文書毀棄教唆、証拠いん滅教唆」および「刑法二五八条、一〇四条、六一条一項、五四条一項前段」の記載がある。
ところで、刑法一〇四条に定める証拠いん滅の罪は、他人の刑事被告事件に関する証拠をいん滅、偽造、変造し、または、偽造、変造の証拠を使用することによつて成立するのであるから、起訴状に公訴事実として証拠いん滅の訴因を明示するには右いん滅等の行為につきその態様を日時、場所および方法をもつて特定するだけではなく、右行為の客体となる「他人の刑事被告事件に関する証拠」の特定、すなわち、「他人の刑事被告事件」および「証拠」をそれぞれ具体的に特定し、更に、事件および証拠が数個存する場合には、いん滅行為の態様により併合罪になるか想像的競合になるかの点は別として、数個の証拠いん滅罪が成立するのであるから、これを明確にするためいかなる証拠がいかなる事件に関するものであるかを個別的に明らかにすることを要し、これらの特定が充分にされていない限り、審判および防禦の対象が不明確となるのを免れず、証拠いん滅の訴因を明示したことにはならないのであつて、このことは証拠いん滅教唆の訴因についても同様である。
これを本件証拠いん滅教唆の訴因について考察するのに、前記引用の公訴事実によれば、右教唆の態様は、「下関支局長や広島地方局の総務部長が逮捕された。この際……選挙に関係のある文書は至急処分するように」と申し向け、他人の刑事事件に関する証拠をいん滅するよう教唆した、というのであり、また、本犯たる被教唆者の行為は、前記公訴事実掲記の文書を焼却し他人の刑事事件に関する証拠をいん滅した、というのであつて、この記載からはもちろん、その他公訴事実の記載全体を通覧しても、右にいう他人の刑事事件が明確に特定されているものとは認められない。もつとも、前記公訴事実の冒頭には、「総務部長水谷嘉隆ならびに管下下関支局の田中支局長以下脇坂、小椋両課長らが公職選挙法違反の疑で逮捕されたことを聞知するや……右被疑者らの利益をはかり、右違反事件の拡大することを防止しようと企て」という記載があり、この記載からすると、前記他人の刑事事件とは右水谷嘉隆ら四名の公職選挙法違反被疑事件を指すものと解し得られる余地がないでもない。しかし、仮りに右のように解するとしても、単に右四名の公職選挙法違反被疑事件というだけではその内容が漠然としていて、多種多様な公職選挙法違反罪のうち何れを指すのか、それが四名を共犯者とする同じ内容の事件であるのか、あるいは、四名が各別に犯したとする別個の事件であるのかということも明らかでなく、本件公訴事実のごとくいん滅したとする証拠たる文書が多数存する事案において、その証拠がすべて右四名の事件に共通する旨明示されている場合は格別、そうでない場合は事件が異なればその証拠も異なるのが通常であるから、個々の文書についてそれが何人の刑事事件に関する証拠であるかを明示するのでなければ他人の刑事事件に関する証拠を特定したことにはならないといわなければならない。してみれば、本件公訴事実の記載をもつてしては未だ証拠いん滅罪の構成要件の一部である「他人の刑事被告事件に関する証拠」の特定が充分ではなく、この点において訴因の具体性を欠いでいるものといわざるを得ない。しかし、訴因の具体性を欠いでいても直ちに公訴提起手続の無効を来たすものとは解せられないのであつて、訴因が全く不特定な場合は別として、本件公訴事実のように、証拠いん滅の訴因についても一応罪となるべき事実の日時、場所方法および概括的ではあるが証憑たる文書の記載があり、事実の同一性を認識させる程度に特定されていて、その範囲内において訴因の一部が明確でない点を補正しうる余地があるときは、裁判所は、この点につき検察官の釈明を求め、その補正追完をさせたうえで審判をすべきものである。しかるに、原審が、これを釈明することなく証拠いん滅教唆の点につき訴因の明示を欠いだまま漫然本件被告事件について審理判決したのは、ひつきよう審理不尽の違法をおかしたものというべきであり、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決はこの点において破棄を免れない。(幸田輝治 浅野芳朗 大石貢二)